漫画雑誌にノンブル(ページ番号)が無くて困ルンバ

コンビニの雑誌コーナーへ

ジャンプを探し出す

目次を見て、えーとワンピースは84ページから…

84、84、84…、159!?

ペラペラペラペラ、


60、よしよし、62、64、66、68…






 



 


 



 






だりぃよ!













ということがよくあると、友人が嘆いていた。
各ページ下にあるはずの番号が、
「勢いを感じさせるコマ割り」のために割愛されることが多いという。


自分もバイト先で、
CLAMP『ツバサ』の、まだ単行本になってない分をコピーして集めてくる
という仕事があって、その時に疲弊したのを覚えている。



平気で100ページくらい番号が飛んでいたりして、探しにくいったらありゃしない。


「いやいや、絵で探せばよくね?」
まぁ、そうなんだけどさ!





先月買った「漫画批評」の創刊号に、その「隠しノンブル」について記事があった。
(ページ下部にある通し番号のことを「ノンブル」という。)

web漫画批評
http://www.manga-hihyo.com/

「勢い」を演出するために、主に少年誌から始まった「裁ち切り」というコマ割り技法。それが今では、「読みづらくならないような表現方法の研究」「読者の期待」などによって、ジャンルを問わず良く使われる技法になったとのこと。しかしそのせいで、ノンブルがどんどん姿を消しているらしい。そういえば『人志松本のゆるせない話』でも、チラっと出てきた。



面白かったので引用。

データを見ると、若年齢層をターゲットとした雑誌ほどノンブルが少なく、対象年齢が上がるに従って誌面にノンブルが増える傾向にある。また男性向けの雑誌のほうが、少女誌やレディース誌に比べて、ノンブルが入れられる比率が高いようだ。出版社別では小学館が比較的多めとなっている。

(「漫画批評」vol.1、p32)

そのデータというのがこちら。記者の人は60誌も数えていらっしゃる。
打つのが面倒なので10誌を抜粋。


※8月下旬から9月上旬の最新号を対象に調査。
※対象は漫画部分のみ(表まわり、広告等を除いたもの)。とのこと。


・タイトル■出版社■ページ番号比率■ありページ/全ページ


ビックコミックオリジナル■小学館■57.1%■180/315
・Kiss■講談社■48.5%■163/336
コロコロコミック小学館■40.0%■195/488
週刊少年サンデー小学館■33.6%■139/414
少年エース角川書店■24.8%■218/880
花とゆめ白泉社■20.3%■80/394
週刊少年マガジン講談社■15.6%■71/455
・りぼん■集英社■13.6%■57/419
週刊少年ジャンプ集英社■12.1%■54/447
・なかよし■講談社■3.2%■15/462

ジャンプやマガジンは10ページに1ページはノンブルがある計算だが…
ホントか?(笑) 個々の作品によってやっぱり差があるんだろう。



そして驚愕なのは「なかよし」の3.2%。
コンタクトレンズ並みの探索難度だ。



でも小学生くらいなら、穴が開くほど隅々まで読みつくすだろうから、別にノンブルなんぞ無くてもいいんだろう。逆に、中途半端にページ番号をふってしまうと、選り好みされる危険性があるかもしれない。そして、中学生くらいから読みたいものだけ読んでいくピックアップ形式になって、というのが一般的か?娯楽の少ない田舎では高校生でもがっつり隅から隅まで読んでいたけども。





実際、漫画家がノンブルを意識して書くことはないだろうし、なくてめちゃくちゃ困るわけでもないけれど、漫画雑誌を読んでくれる貴重な読者には親切であるべき、というのが筆者の結論だった。いっそ全部なくしてしまえば、という極論も面白いような気がするけど、非現実的か。


これから漫画が電子化された時、検索がどうなるのか楽しみである。
ノンブルはタグ情報として、「セリフ」や「発言人物」「背景」なんかと同じようにまとめちゃうのかもね。





出版社<「親指と人差し指の間隔でページ数が判断できるようになって一人前」)

ドロリッチのCMを考えた奴は変態

久々の更新がこれというのもなんだけど、
ドロリッチのCMを見るたび、これを考えた奴は変態だと思う。


とてもいい。




ドロリッチドロリッチガールズ/クラッシュカフェゼリー」篇





ドロリッチドロリッチガールズ/ベリーミックス」篇





カップを振るたび、中で美女がぶつかって…


というこの発想力、妄想力。


最強だと思います。そして変態だと思います。




これを電通だか博報堂だかの会議室でプレゼンしてる姿を想像してさらに笑う。

グリコの重役「日本人女性じゃダメなの?」
電通社員「それはですね…」
ドロリッチ開発部長「私は金髪、好きですけどね。」

とかだったら面白いよなぁ。





「就活の試験で『時代を切り開く力』をテーマに論述しなさい」
ってのがあったけど、「妄想力」ってのはウケがよさそうな気がするよな。
会社によるか。



でもそういう「ないものを補う力」というか、「ゼロ円で遊べる力」ってのは、
持ってるだけで大分楽しいと思う。



2009年のCMアワードをあげたい秀作。招き猫ダックなんかより全然いいよ!

ドラクエ9〜自宅の守り人〜@ハイクまとめ

はてなハイクのいいところは、
mixiのコミュニティともtwitterとも違った、サロンっぽい雰囲気。
いい意味で野暮ったいコミュニケーションが行われてて、
「巷」とか「○○界隈」とでも表現できそうな、色んな人がいる感じが心地いい。
渋谷が好きなのと似てるかもしれない。
(まぁ、他のサービスじゃなくてわざわざ「ハイクをやってる人」というフィルターはかかるわけだが…)



しかーし、


はてなハイクのエントリーが、
「個人id」→「タイトル」とタグ内で絞れないようなので、
遡って見るのがめんどくさい。


「○○さんの、××に関するエントリーだけを見たいんだけど…」
となった時に探しづらいのが玉に瑕だったりする。


まぁコミュニケーションツールだから仕方ない部分もあるか。



というわけで、ドラクエ9の連載エントリーだけバックアップ。



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ドラゴンクエスト9 自宅の守り人
ひきこもりの壮大な旅が始まる。

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治療と洗脳の間

「恐怖の記憶」消す仕組み解明…PTSD治療にも


 脳が短期の記憶をとどめる部分では、神経細胞を次々に作り出すことで、恐怖などの記憶を消し去っていることを、富山大学の井ノ口馨教授らが動物実験で突き止めた。

 心的外傷後ストレス障害(PTSD)などの治療につながる成果だ。13日発行の米科学誌「セル」に発表する。



 記憶は、脳の「海馬」と呼ばれる部分に保存された後、整理され、マウスは1か月、人間は半年〜3年で大脳皮質へ移り、長期の記憶になるとわかっているが、詳しい仕組みは不明だった。



 井ノ口教授らは、海馬で神経細胞の新生が盛んなマウスと、そうでないマウスを実験に用い、恐怖を感じる程度の電気ショックを加え、記憶を調べた。その結果、細胞新生が少ないと恐怖の記憶が海馬にとどまり、細胞新生が盛んだと、移りやすいことがわかった。



 恐怖などの記憶がいつまでも海馬にとどまっていると、何かにつけて思い出しやすく、PTSDの症状が長引くと考えられる。

 井ノ口教授は「海馬の神経新生を活発にする薬剤を開発すればPTSDの治療に役立つ」と話している。


(2009年11月13日08時07分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20091113-OYT1T00035.htm

人間の記憶を記録した細胞ごと、新陳代謝させてしまえばいい、という方法。病気でも何でも、早いうちに対処した方がいいというのはよく聞くので、トラウマが形成される前により早く、「黒歴史」細胞を押し出してしまえばいいということか。


「恐怖などの記憶を消し去っていること」って、そもそも「恐怖など」って何なのよ?とも思うし、消し去るってのが倫理的にどうかという問題もあるんじゃないかと気にもなるが、確かに、突発的な事件や災害に巻き込まれた人の治療には有効かもしれない。でも、そんな上手いこと海馬を操れるのかなぁ、疑問。




それよりは、iPS細胞で脳の一部分を再生するという方が現実的な気がする。


虐待や犯罪被害の記憶に苦しむ知人は、「脳ミソを入れ替えたい」という。 覚えていたって、何の価値もない記憶なのだから、脳をまっさらにして、健康そのものの人格でやり直したい。――臓器を再生するiPS細胞の話を聞きながら、「脳髄は?」と思わずにいられなかった*3。 たいていの記憶には、価値なんかない。 そしてそもそも、この現実は何も “覚えて” いない。


Freezing Point「考えてしまっていたこと」
http://d.hatena.ne.jp/ueyamakzk/20091103


だがここで問われてくるのが、倫理の問題。記憶を操作してしまうのは良いことなのか?仮に記憶がなくなった後、何か問題が起きたら、責任は誰にあって(まぁ当事者だろうが)、どう責任をとるのか?「記憶を消された人」と、周囲の人間のコミュニケーションはいびつなものにならないだろうか?『サトラレ』のように、半径1km以内の人へ警戒を促すために、対策委員会でも発足するのだろうか。「記憶を消した人が今、渋谷を歩いています!センター街の人は特に注意してくださーい!」



結局、脳いじりの話になるとそうしたSFの域をなかなか出られない。
でも一度タガが外れれば、すっと普及してしまいそうな気もする。




よく、サイボーグやロボットが登場する物語で、「電池が切れた」「死んで(壊れて)しまった」「再起動した」などの理由で、・そのキャラクターの「記憶」が全く無くなってしまう、・無くさないで済む方法を模索→ハッピーorバッドエンド、というのがある。「記憶が消えるなら、再起動する意味は無い」だとか、「消えたと思っていたはずの記憶が、奇跡的に甦った。愛の力で。」みたいな(ホントにあるかは知らないが)美談として、「ロボットの記憶」を取り扱う物語はドラマチックに終わる。


しかしこれが人間だったら。記憶喪失の人間の記憶が「戻らないまま」、完結する物語は今まであっただろうか!?(あるかも)(物語の最後の最後で頭を打って記憶喪失になって「とうとう○○の記憶が戻ることはありませんでした。おしまい。」というものはあるかもしれないけどそれはちょっと違う。)


「記憶喪失」という設定が意味を持つのは、それが戻るかもしれない、からで、もし戻ることなく自己実現をして終わる話なら、最初からその設定は不要、少なくとも記憶喪失である必要はない。
例えばそれを「骨折」という身体的な欠損に置き換えて考えてみると、「骨折」という設定が意味を持つのは、それが治るかもしれない、からで、もし治ることなく自己実現をして終わる話なら、その設定は不要かつ「骨折」の必要性は無いと言える。

と、極論をしたが、ここに違和感があるのはお気づきの通り。
「記憶喪失」や「骨折」と、折り合いをつけて物語を進める、という選択肢は、ある。
単純なところでいくと『リアル』(井上雄彦)がそうだと思う。




何が言いたいかというと、記憶を消し去った人とも、折り合いをつけて上手くやっていく方法はあって、そしてそれは物語的展開(というよりも単純な時間の流れ)が解決してくれるんじゃないか?ということだ。最初は「この人、記憶を消したんでしょ…、まだ心のどこかにかけらが残っていて、急に思い出して暴れたりしないかしら…」と思うかもしれないが、結局そういうことがあるのはファンタジーの中だけなんじゃないかと思うのである。サトラレ同様、問われるのは周りの資質で、「お前は過去に○○してたんだ!」と言う奴がいたとしても、脳に痕跡もないのであれば、苦しむ要素が無い。まさに生まれ変わりである。だから、iPS細胞での生まれ変わりはどんどんやっていくべきである。



と思ったが、じゃあその生まれ変わりを認めるかどうかの基準は…と、また倫理の問題にぶつかった。





というかそもそも、人間全員がある意味で「記憶喪失」みたいなもので、事実幼児期の記憶はほとんどない。
だからこそ、身に覚えが無くても、「お前は昔、○○だったんだ!」と言われて妄信してしまう場合がある。

だから、結局生まれ変わったところで、トラウマをトラウマとして捉えるのは主体の問題だから、
脳髄を変えてもダメな場合があることは容易に想像できてしまった。

となると、やっぱり人間は環境に影響される、と言わざるを得ないよなぁ。

西友KYCM『奥さんのクリスマス』編

KY(空気読めない)ではなくて、KY(カカク、ヤスク)でおなじみの西友

そのCMのワンカットというか、主婦役の女優さんの表情が強烈に気になった。





気になった、としか書けないのは複雑だが、確かになんとも言えないが心に残るカオなのだ。

K(カカク)Y(ヤスク)じゃなくて、K(カオガ)Y(ヤバイ)。





不景気を生きる現代の家族の、ちょっと笑える&笑えないシーンを描いて元気をくれるKYのCMシリーズ。

そのクリスマスバージョンが先週あたりから放送されている。



クリスマスというささやかな祝祭が近づき、毎日の家事育児にも気合の入る奥さん。

クリスマスツリーを準備して、いつものように掃除洗濯料理買い物、

チキンを買って、シャンパンを開けて、家族でパーティ。

子供を寝かしつけて、最後に待っている旦那さんからのプレゼント…。



ああ、幸せ!





そんなとてもいいCMだ。





でも!

そんな幸せが打ち砕かれるような胸のざわつきが、

この奥さんの表情に喚起されてしまう。

なんということでしょう!




とりあえずCMはこれ。

問題の表情は、プレゼントを受け取る12−13秒の間。








 




 





 

こゎぁぁあああああああああ!!!!!!!






 




クレイジーケンバンドの曲、軽快だなー

中流階級の理想像を絵に描いたようだなー

まぁでもちょっと価値観が古いよなー




とぬるい感想を抱く心を打ち砕くこの表情。

どうすか!





一瞬苦しんだような表情をしてから、強烈な笑顔に変わる様子。

これが、なんというか、怖い。

でも、もう見たくない!というほどの怖さ、恐ろしさではないし、かといって、「単なる違和感」ほど軽いわけでもない。

なんなんだろうなぁ。

気持ちが悪いので仮説を立ててみた。





岩月謙司の「幸せ恐怖症」っぽいところが怖い?説



母親に嫉妬されながら育った女性が、「母親よりも幸せになっちゃいけない!」と思ってしまう女子特有の病を、「幸せ恐怖症」という。トンデモ心理学者扱いされる岩月教授の説の中で、これだけは割と説得力があるのだが、今回のCMの奥さんの表情も、幸せを拒否する表情だと読めなくもない。

この「あ!私、幸せになっちゃう!拒否しなきゃ!」という無意識の表れが、あのよじれた顔を生み出しているかと思うと、少し怖い。かわいそうというか、不幸というか、見ているこちらが辛くなってしまう。



(岩月氏の『女は男のどこを見ているか』について取り上げた記事が残ってました。@そこくるり2)






・表情が二重だから怖い?説



ミスチルの『ファスナー』という曲で、「すべてのものにはファスナーがついていて」僕が知らないところで牙を剥くつもりなんじゃないか?という精神病者っぽい「考えすぎ」な歌詞があったけれども、そういう二重性が見えるから、この表情は怖いのか?と考えた。

今回に限っては、「不幸な顔」のあとにちゃんと「幸せな顔」が訪れたからいいものの、もしこれが「不幸な顔」「幸せな顔」のどちらか片方だけだったら、とてつもない不安に襲われる気がする。「不幸なふりをして、実はとても嬉しいんじゃないか?」あるいは「幸せなのは顔だけで、心まで晴れやかではないんじゃないか?」、ポジティブにもネガティブにも考えすぎてしまう余地が、この「二重の表情」を見てしまったせいで、生まれてしまうのである。という説。



でも『ファスナー』は結局、「(相手が)牙を剥くつもりでも、信じてみる値打ちはあると思えるんだ」「惜しみない敬意と愛を込めてファスナーを…」と、「二重の表情」でも受け入れるんだ、それが大切なんだ、という寛容さで終わっている。

でも怖いもんは怖いしなぁ…。





その怖さによる無意識の支配は、

僕の今日の晩飯にまで及んでいた…。



 





K(キムチ)Y(ヤキソバ)。




 

ああ恐ろしい!

『スマトラ警備隊』相対性理論×『傘がない』井上陽水

相対性理論(バンド)がいいよいいよ、とそこかしこで聞いていたのを今更ながらに聞いてみた。
確かに心地いい。



何平洋よ〜


シフォン主義

シフォン主義



とりあえず自分がピンと来たのは『スマトラ警備隊』の歌詞。
倦怠感がすごく良くて、厭世的。それがいくところまでいって、批評になってると思う。


中でもポイントは、
一回目サビの
「太平洋 大西洋 ここ一体何平洋よ」
と、
二回目サビの
「誰か止めて あの子のスーサイド」
じゃなかろうか。




これをなんとなく解釈すれば、


自分たちがいる「いま」「ここ」を、何平洋と名付けてもらっても構わないけど、
とりあえず、スーサイド(自殺)してる人がいるんだから、まずそれをなんとかしてよ。


そんなイライラした気持ち、だと言えるだろう。



確かに、「生き辛さ」とか「閉塞感」「窒息しそうな状況」などなど、現在の若者世代を支配する「空気」に対して、名前はたくさんつけられてきた。その中にいる僕たち自身も、同じように色々と名付けてきた気がする。しかし、実はそのどれも、しっくり来たことなんてないし、上手く言い表せた二日後くらいには、「やっぱり違うよなぁ」と自己言及を始めてしまう。それが、次々と新しい言葉が出てきた理由だと思う。


でも、やっぱり問題は、自殺者がいることだ。




で、思い出したのが、井上陽水の『傘がない』。

都会では 自殺する若者が増えている
今朝来た新聞の片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨 傘がない


学生運動の盛んな頃に「そんな主義主張よりも、傘がないことが問題だ」と言ったこと、その重要さは今でも指摘される。革命だ!と息巻いていたあの頃、自分たちは一体何を争っていたのか、反省する本がいくつも出ている。

しかし、反省が続く今の状況は、実は「そこから学ぶことがあるかもしれない」という社会の無意識の表れなんじゃないかとも思う。『スマトラ警備隊』のメッセージを、「カテゴライズよりも、自殺者が減らないことが問題だ」とすると、確かにきれいに重なる。



とした時、この二つに通じる問題とは何かと考えると、それは、やはり「敵がいない」ことの不安だと思い至った。学生運動が下火になって「敵」を持てなくなった1970年代の若者の状況(参照)と、価値観がフラット化して「仮想敵」しか作れなくなったゼロ年代の現状は、とても似ている気がする。

『アキバ通り魔事件をどう読むか!?』/斎藤環


自分自身と敵対するかのような彼らの自意識は、「敵の見えない時代」である現代の陰画として生じたのかもしれない。もしそうだとすれば、まず回復されるべきは「健全な自己中心性」であり、「まっとうな被害者意識」ではないだろうか。あえて仮想敵を作らずにそうした回復がいかに可能となるかが、あらためて問われなければならない。


健全な自己中心性、ってのは難しいよなぁ。



スマトラ警備隊 歌詞(引用)
作詞・作曲 真部脩一


やってきた恐竜 街破壊
迎え撃つ私 サイキック
更新世到来 冬長い
朝は弱い私 欠伸をしてたの


太平洋 大西洋 ここ一体何平洋よ
盗んだわたしの記憶をかえして
CIA KGB FBIに共産党の陰謀よ
誰か私を逃して


飛んでったボイジャー 惑星破壊
なすすべないあなた サイコパス
環状線渋滞 先長い
待つのつらい私 ゲームボーイしてたの


北極星 超新星 流星群にお願いよ
誰か止めて あの子のスーサイド
新幹線 連絡船 運命線よおしえて
私明日は どこでどうしてるの



歌詞じゃなくて音に関して、
相対性理論(バンド)に対する他の批評を読んでみると、「ポストピコピコ」という扱いが多い。

絵で言うところのヘタウマというか、素朴でスキのある音が心地いいんだ、ということか。
バンドやっときながら、自分はいわゆる「音」のことは全然わからないのだが、
詳しいメンバーの人に聞いてみてもそうらしかった。


近所のレコード屋よりもはるかに少ないyohashiライブラリーの中でなんとか照らし合わせると、
「ちょっとフジファブリックっぽい」と出ました!


相対性理論『ハイファイ新書』批評感想レビュー地獄。


個人的にはもーあのピコピコガンガン界隈の音に飽きて来た(笑)。だって、みんなクオリティ高いんだもん。という非常に贅沢な飽和状態である。中田ヤスタカだって、鈴木亜美の曲までちゃんといい曲だし、本当贅沢極まりないとつくづく思う。


そんな中、次の一手が待たれる中、これと言って次が無い。そこで(書きかけの部分、いま直してるので中略)相対性理論が売れたのは、パフュームからの「ある流れ」が確実にあって、それはもうとっくに姿を変えてしまったけど、愛しい"サブカルチャー"という刺激だと思うの。『地獄先生』を筆頭にこれらの曲は歌詞が超面白いの。リズム×韻×ユーモア=が完璧で完成度の高いフィクションなの。


http://d.hatena.ne.jp/ayumu108/20090331

「リズム×韻×ユーモア」
で言うと、「つしまみれ」なんかもそうかもしれない。

釘宮ゼミライブ09常盤祭


来て下さったみなさん

ありがとうございました



拙い演奏でしたが、
客席で光るサイリウムと、オタ芸合いの手に励まされて
最後までやり切れた気がします。
おかげさまです本当に。




客席からではたくさんの方に動画で撮っていてもらえたようで、
早速いくつか頂きました。これはいいハイビジョン。
Jちゃん、Kぱ、Kたかちゃん他ありがとう!


ニコニコ生中継もしてもらえたそうで…。
※跡地を見たら視聴者4人だったらしい。身内かね。
あの画面だとどんなもんだったんだろうね。





10月30日(金)13時20分くらいから、
所属する釘宮ゼミナール(大学非公式ゼミ)にて
学祭のストリートステージでライブを行いました。
自分は鍵盤で参加。





本番前に一度メンストを、
長門ちゅるやさん&紬+リーダー
で歩いたところ、
長門だー キレー 背高けぇー」
「あ、鶴…、ちゅるやさん(言い直すのがポイント)」
「ムギ髪なげぇーー なげぇー」
と当てられました。
横国京アニ浸透率はだいぶ高いようです。


リーダーのTシャツのおかげで、
「釘宮ゼミナール」の名前も売れて一石二鳥。
まぁメンバーには一人もくぎゅう信者なんていないんですけどね。





本番。

星間飛行
キラッ☆の合唱がとても良かった。映画ももうすぐクル━(゚∀゚)━!! 後から動画で見たらキーボード音でか過ぎごめんよ。

Super Driver
曲の知名度が意外と高くてびっくりした。もっと知られてないかと…京アニ恐るべし。

・ハナマル☆センセイション
これまたお客さんがノリノリでこっちまでノリノリに→イントロの演奏が走りまくる→やりきったテンションで本体も走り回る→パフォーマーのK林さんもついてきて…くれてない!?→焦りながらも止まれずボーカルの前を通過→やっとノってきたK林さんと落ち合う→ほっとしてタンバリンを叩きあう→Bメロ間に合わず→2テンポずれる→「自重しよう…」と思い落ち着いてサビへ→サビでお客さんがノリノリでこっちまで(最初に戻る)
リトルノンの曲は麻薬的だということで。

・Don't say "lazy"
客席からの「ハイ!ハイ!」がすごかった。修造動画並みの力強さ。すごく…嬉しかったです…。

ふわふわ時間
※※※※MCは完全にやらせ無しです。※※※※
※※※※MCは完全にやらせ無しです。※※※※
※※※※MCは完全にやらせ無しです。※※※※

けいおん12話の再現アンコールで歓声を上げたみなさん、
終わってますねありがとうございます!
横国ハジマタ\(^o^)/





ギターのsyu-zoさんの神画像


な、なのはを乗せながら演奏しているゥ!





「釘宮ゼミTシャツの罠」



裏面にちゃんと「釘宮ゼミナール」と書いてあります。
欲しい方はご連絡を。1着より販売しています。





最後のふわふわ時間のアンコール後の動画。



「ふわっふわーーターイム!」
『ふわっふわーーターイム!』
「ふわっふわーーターイム!」
『ふわっふわーーターイム!』


見返すたび元気がでます。


うちのcoresoloPCではエンコードに時間がかかりすぎるのでこんだけですが、

「いーつも頑張ーる!」
『いーつも頑張ーる!』
「きーみの横ー顔!」
『きーみの横ー顔!』
あたりもすごかったです。温かすぎる。






これは、来年メインステージ進出フラグ。
どうですかね、横浜国大学祭実行委員会のみなさん


リーダーは動画と画像を持って売り込みに行くべき。
もしやるなら来年はサイリウムバルログで応援するぜ。




メンバーのみんなもめちゃくちゃ楽しかったですありがとうございました。
右手鍵盤で必死でしたが楽しくやれた気がします。もっとやれた気もするが…。
syu-zoさんが入っただけで音がまとまって去年とは段違いなバンドに。
パフォーマンスに関してはK林さんごめん(笑)。






とりあえず、

けいおん!で、一番かわいいのは、




ゆいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい