チャットモンチー『染まるよ』に染まるよ

もうだいぶ前の曲になるけども、チャットモンチーの『染まるよ』が何度聞いても心に刺さる。
なぜか。



一度すっと聞いただけだと、別に普通の曲というか、
背伸びするかわいらしい女の子の失恋ソング、で終わってしまう。
4分もない短い曲だ。
しかし、聞き終わるとどこか心に違和感、ほんの少しの引っ掛かりが残る。
それは何だろうと、何度も聞き返してしまう。
最近、その源泉が、あるフレーズ、一つの言葉だと気がついた。





『染まるよ』の動画と、歌詞の引用。
2008年11月発売だった。オリコン10位。


染まるよ
作詞:福岡晃子/作曲:橋本絵莉子


歩き慣れてない夜道を ふらりと歩きたくなって
蛍光灯に照らされたら ここだけ無理してるみたいだ


大人だから一度くらい 煙草を吸ってみたくなって
月明かりに照らされたら 悪い事してるみたいだ


あなたの好きな煙草
わたしより好きな煙草


いつだって そばにいたかった
分かりたかった 満たしたかった
プカ プカ プカ プカ
煙が目に染みるよ 苦くて黒く染まるよ


火が消えたから もうだめだ
魔法は解けてしまう
あなたは煙に巻かれて 後味サイテイ


真っ白な息が止まる
真っ黒な夜とわたし


いつだって そばにいれたら
変われたかな マシだったかな
プカ プカ プカ プカ
煙が目に染みても 暗くても夜は明ける


あなたのくれた言葉
正しくて色褪せない
でも もう いら ない


いつだって あなただけだった
嫌わないでよ 忘れないでよ
プカ プカ プカ プカ
煙が雲になって 朝焼け色に染まるよ

例のごとくえっちゃんいい声。


それはさて置いて、歌詞である。


チャットモンチーが描く女の子の魅力は、「走り出した足が止まらない 行け行けあの人のところまで(@風吹けば恋)」のような「自己コントロールの効かなさ」にあって、この『染まるよ』でも、好きな男性のためにタバコを好きになろうと健気に頑張る様子が魅力的に描かれている。

大人だから一度くらい煙草を吸ってみたくなって、月明かりに照らされたら悪い事してるみたいだ。こういうかわいさは、椎名林檎やらYUIとは別の方向で中高生の女子に受けそうな、まっとうなかわいらしさだと思う。「少女」と「女」の間で揺れる、というと大げさかもしれないが、もう少しソフトなその揺れを経験する思春期を体現する歌詞だ。勝手な妄想でいくと、ソフトボール部かバレー部の女子が好きそうな選択肢。


ギターのいい歪みもあって、悲壮感が増している。特に、2番のサビ前の弦を引っかくような音の入れ方が滅茶苦茶上手い。


そして、
いつだってあなただけだった。
嫌わないでよ、忘れないでよ。
煙が雲になって、朝焼け色に染まるよ。
と結ばれる。

福岡晃子
だいぶ前に終わった恋愛を思い出してる状況ですね。この詞を書いた頃、自分の気持ちが落ち込んでたんですよ。だから、こういうことを思い出してたんだと思います。思い出す行為って未練があるように思われるかもしれないけど、そうじゃなくて。恋をしてた頃は“あなた”に染まってたけど、でも最後には自分だけが見てる“朝焼け”の色に染まっていて。そういうふうに変わっていくっていうことを受け止められるようになっている。だから未練だけじゃなくて強い部分もあるし、なんか・・・救われきれてないことはない、というか。

オリコンスタイル インタビュー
http://www.oricon.co.jp/music/interview/081029_04.html


しかし、ずっとそうした少女性を持ち続ける、描き続けるだけじゃないのが彼女らのすごいところ。
その萌芽が、最後のサビへと続く、転調前のワンフレーズにある。
ここ一点が、この曲の全てを変えてしまうほどの力を持っている。

あなたのくれた言葉
正しくて色褪せない
でも もう いら ない


この、「正しくて」。
ここだ。


あなた色に染まり、自己コントロールの効かなくなっていた女の子が、たった一箇所、ここにだけ「理性」を持ち込んでいるのである。もしこの「正しくて」が「優しくて」だったとしたら、どうだろう。おそらく、いわゆる失恋ソングの範疇に納まるというか、全て女性のナルシシズムに回収されるような一方的な歌になってしまうだろう。
「失恋しちゃったんだね、かわいそうに」以上のものを感じることはできないと思う。


しかし、この「正しくて」という理性的な判断一つで、我々男性は逆剥けのような鈍い痛みを心に感じてしまう。子供の言葉がしばしば確信を突いている(「もしもし、お父さん、いる?」「いらない」)ように、「正しくて」はこの歌詞の女の子の「少女性」が最後の最後に演出した一つの「批評」なのである。


「優しい言葉は、もういらない」と言われたときは、まだなす術がありそうなものだが、
「正しい言葉は、もういらない」と言われたときは、なんというか完全にシャットアウトされたように感じる。
「正論ばっかり言わないで」という意味だとしたら、問題は単純でそれこそ「男は理性で女は感情で…」というトンデモ論に回収されていきそうな陳腐な論で終わってしまう。しかし今回の「正しい言葉」というのはもっと象徴的な意味であり、つまり男性は「正しい言葉」意外で伝える術を持たない。そしてそれはラカン派の象徴的去勢の話に繋がって…。


と、そこまでいかなくとも、この「正しくて」に背筋を正される、という主張に同意していただける諸兄はいると思う。
いてくれ。いや、いて下さいそしてお酒飲みましょう。



橋本絵莉子】 2ndアルバム『生命力』ぐらいから、ギターとベースとドラムの3つの音だけで、という意識が強くなってきてるわけですけど。今回もアレンジをしていくうちに、どんどん音数が少ないほうが似合う曲だっていう考えになっていって。これまでで最も空白の部分の良さが感じられる仕上がりだと思います。


高橋久美子】 3人の楽器がパズルのように組み合わさっていて、聴けば聴くほど味が出るタイプの曲ですね。決して特別なことやオーバーなことはしてません。でも大声よりも小声で言われたほうが、ぐっとくることってあるじゃないですか。小声のほうがドキッとしたり心に沁みたりすることが。その感覚に近いというか。ロックバンドとして、こういうタイプの曲を堂々と胸を張って出せるのってカッコいいことだと思うんですよね。


前掲


大声よりも小声で言われたほうがぐっとくる、その小声というか小言が「正しくて」なんじゃないかと。


でもやっぱり、この曲のどんでん返しは、作詞がボーカルのえっちゃんだと思ってしまうところ。これは相対性理論(バンド)の時にも書いたけど、演者としてのボーカルが曲の懐の深さを引き受けるという前提があるので、「正しくて」と言っている、つまり理性的なのはえっちゃんだとして錯覚してしまう。それが彼女の容姿というか少女性につながって、ずっきゅんと来るのかもしれない。


作詞したのは前掲のとおりベースのあっこさん。
彼女のプロデュース力が発揮された曲ということで一つ。