シリーズ「大学生協」 生協は都合のいい女?

大学生協について近代とポストモダンの視点から考える第三回。
一応、今回で完結です。だいぶ間が開きましたが、三夜連続放送気分で。



第一回 シリーズ「大学生協」 努力しない努力

第二回 シリーズ「大学生協」 普通の大学生について




横浜国大生協は1962年に設立されたそうだ。
当時は学生運動真っ只中で、生協の設立にも、ある種の資本主義へのうらみつらみめいたものが見え隠れする。そんな時代背景の下、国大生協は産声を上げた。


今でも横浜国大には経済学部自治会なるものがあって、伝統芸能のように「反戦」「反アメリカ」を叫んでいる。
雨にも負けず風にも負けず、大勢の学生の冷たい目線にもめげず、強いハートを持ってビラ配りから演説、果ては寸劇まで、彼らの活動は幅広い。他大学とも協力してイベントを行っているあたり、そういう左翼の残党みたいな人たちはまだまだ多いのかもしれない。


しかし彼らのような主義主張がトレンドだった時代もあったわけで…。
今回はそんな1960年代と現代の対比から書いてみる。





少し調べただけだが、噂に聞く通り横国では学生運動が盛んだったようで、いくつか記事が出てきた。



「戦後学生運動」考
1966年/全学連運動史7期その2/全学連の転換点到来
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/gakuseiundo/history/history7_2.htm

【横浜国大闘争】
1月−3月にかけて横浜国大で、学部の学芸学部の学部名変更に反対する紛争がおこり、学生がキャンパスを封鎖、教職員を排除して、学生の自主管理を約1か月余にわたって強行した。この自主管理下のキャンパスでは、学生自治会が編成した自主カリキュラムによる学習が進められるという画期的なものとなった。

1.28日、教員養成制度改悪阻止全都学生総決起大会〔麻布公会堂〕、横浜国大学芸学部生中心に七百名参加、学芸学部の教育学部格下げ反対・教員免許法政悪阻止等を決議、文部省・国会にデモ。


自主管理を約1か月余にわたって強行した。というところは加賀の「百姓の持ちたる国」のよう。学部名変更にしても、格下げ、と言い切るところに悪意というかエネルギーを感じる。


そうした、史実として書き残されているもの以外にも、バリケード封鎖があったことや警察と衝突が何度もあった話はよく聞く。
今でも、横国の入学式当日には、横浜国立大ホール*1周りに機動隊が出動してくるらしい。(これも伝統芸能のようだが。)





さて、そんな時代の只中に横国生協は設立された。
その経緯と目指すところを書いたのが、「設立趣意書」というものだ。(全文は最後に掲載します)


なんとも言えない鬱勃としたエネルギーが渦巻いているいい文章だと思う。スキあらば「総括」させられそうな、ゲバ棒で殴られそうな、そんな切れ味の良さがある。


横浜国立大学消費生活協同組合 設立趣意 1962年


近年、我国の経済成長は目覚しく、その成長率は他国に類を見ない程高い。しかし、その内容を検討してみる時、幾多の矛盾、跛行的現象を見い出すことができる。


特に、直接生産部門に参加していない大学教職員並びに学生は、神武景気にも、岩戸景気にも置きさられ、その生活は実質的に低下し、忘れられた階級となりつつある。


一方、池田内閣の唱える所得倍増計画による諸物価の上昇は、増々、私たちの生活に圧迫を加えるものです。特に、生活必需品の騰貴はただただ驚くばかりです。このよな社会情勢において、私たち学生の生活は、日増しに苦しくなっています。


「忘れられた階級」というヒガミ方がいいし、そのハングリー精神はうらやましい。今、苦学生なんてのはもはや都市伝説ではないかと疑われるくらい、少ない(国立、私立ではまだまだ大分違うだろうが)。

むしろ今の大学生は満腹感に困っているような気もする。も、もう食べられないよぅ、とあっぷあっぷしつつ、食べても食べてもどこか満たされない。バブル以降、格好の「消費」のカモとなっている学生は、やれパソコン、ネット、海外旅行、iPodと色んなものを与えられて過食気味だ。
設立時の学生とは絶対に相容れないと思う。会ってみたい気もするが。


そしてこう続く。


私達は、このまま世の潮流に押し流されてはならない。自分達の力で、毎日の生活を少しでも良くしていきたい。しかし、一人一人の力ではどうにもなりません。そこで、私達は消費生活協同組合法(昭和23年施行)に基き、ここに横浜国立大学を職域とする消費生活協同組合を設立することにしました。


個人では弱い私達消費者が協同互助の精神を体して自主的な購買組織をもち営利者による中間搾取を排除し少しでも生活を改善していこうというわけです。


「中間搾取」という言葉に代表される通り、1960年代は消費者が弱かった時代だ。消費にも選択の自由はあまりなく、せいぜいチキンorビーフの二択ぐらいだっただろう。選択肢がないから、作ってしまおう、それが生協設立の趣意だ。
しかし今はチキンorビーフorポークor…と選択肢が増え、消費者優位になった。「中間搾取するようなら買ぁーわない。別のもの買おーっと。」と、商品は代替可能だ。前回のパソコン購入の話ではないが、別に生協でなくたって、ヨドバシでもビックカメラでも、中間搾取をしていなさそうなところを自由に選んで買えばいい。昼食も生協じゃなくたって、ファミレスでも牛丼屋でもいい。特に都市部の大学はその傾向が強いと思う。



しかしそうすると、なんというか生協はまだ必要か?という話になってくる。
中間搾取をなくして、お金のない学生が弱者として虐げられないようにする、というゴールを、生協はとっくに通過しているのではないだろうか。


問題はその先である。





結論から言うと、事業体としての大学生協は、今は「いらない」。
大学生協である必要性は、ほとんどない。「ただ大学に長く入っている業者」というのが、多くの学生や大学側の認識だろう。


ただ、10年先か20年先か分からないが必ず、必要になると思う。



設立の趣意を「近代」においている限り、ポストモダンの時代に大学生協はやはり合わない。
今までみんなで一致団結して、協同して、頑張った結果得られた豊かさ、それを使って、今は個人で、一人で楽しむ時代である。いずれそれが破綻するかどうかは分からないが、もし歴史が繰り返すとすると、破綻するだろう。その時が、生協の出番だろう。


学生にとっても大学にとっても、今の大学生協は「都合のいい女」状態である。やれ学内のゴミ処理を…、環境保全を…、留学生を…。大学から絶対に撤退しない業者=別れられない女は、いいように使われる。おおかわいそう。

だから、事業をスリムアップして細々と生き残るのが現在の生協にとって得策、なのではないかと思う。
そうすればきっと、本妻として迎え入れられる日がくるに違いない。





とは言っても、時代の変化でがらっと全てが無くなるわけではなくて、生協には職員さんがいて利用者がいて、出資者もいる。なのに「時代が時代なんで…」と言って諦めてもいられない。


もし有効な手段があるとすれば、陳腐だがサービス内容の分別ではないかと思う。


格差社会を額面どおり受け取って、生協のサービスを出資額によって分ける、という方法である。これであと10年くらいは持つんじゃなかろうか。甘いか。



株式会社が株主からの出資によって成り立っているように、大学生協も組合員からの出資で成り立っている。横国の場合なら一人、1口5000円×3口で15000円を出資しているわけだ。これを大体の人は一年の入学時に払って、4年間サービスを受け、卒業時に返してもらう(その15000円は卒業アルバムに変わるか、その日の飲み会で消える)。


そこを、「みーんな3口出資して、同じサービス」というのをやめて、

苦学生は1口からでかまいません。

でも出資額に応じてサービス内容が変わってきます。

5口いただきますと、

学食では高額出資者様限定メニューがお召し上がりいただけます(ニコッ」



うわぁ。





そんなまさかということが起こってしまう、かもしれないのが底の抜けた時代。
そこまで行かなくとも、ちょっとした優待サービスみたいなのは増えてくるんじゃないだろうか。


それよりもまず大学が、入学者の選別をきちんとやれば、大学生協は対応しやすいのだが…。大学経営的にもそんなことは言っていられないだろう。





3回にわたって大学生協の未来について書きながら考えてきたが、どうにも出口が見えない閉塞感ばかりが際立った。
「だいがくせいきょう」と打ち変換したつもりが、何度も「大学逝去」となったのは悪い暗示なのだろうか。


もしまた考えるべきことが浮かんできたら書きたいと思う。
読んでいただいたことありがとうございました。




 横浜国立大学消費生活協同組合 設立趣意 (全文)


 近年、我国の経済成長は目覚しく、その成長率は他国に類を見ない程高い。しかし、その内容を検討してみる時、幾多の矛盾、跛行的現象を見い出すことができる。特に、直接生産部門に参加していない大学教職員並びに学生は、神武景気にも、岩戸景気にも置きさられ、その生活は実質的に低下し、忘れられた階級となりつつある。


 一方、池田内閣の唱える所得倍増計画による諸物価の上昇は、増々、私たちの生活に圧迫を加えるものです。特に、生活必需品の騰貴はただただ驚くばかりです。このよな社会情勢において、私たち学生の生活は、日増しに苦しくなっています。


 私達は、このまま世の潮流に押し流されてはならない。自分達の力で、毎日の生活を少しでも良くしていきたい。しかし、一人一人の力ではどうにもなりません。そこで、私達は消費生活協同組合法(昭和23年施行)に基き、ここに横浜国立大学を職域とする消費生活協同組合を設立することにしました。個人では弱い私達消費者が協同互助の精神を体して自主的な購買組織をもち営利者による中間搾取を排除し少しでも生活を改善していこうというわけです。


 その運営はきわめて民主的で組合員のだす出資金の多寡によるものではなく、組合員個人を尊重し、一票というまったく平等な権利行使によってなされます。また販売によって得た利潤から組合の運営に必要な費用をさしひいた残りは翌年における割引率の引き上げ等の資金とします。あくまで協同互助の精神に立脚している所以です。このような大学生協に関してはすでに文部省大学学術局長通達「学校消費生活協同組合の育成について」(昭和24年7月8日発大第102号)によってその育成がのぞまれています。


 私達はそこに記載された諸点を考慮して生協の組織を考えると共に、実行面では生協をできるだけ民主的で巾の広い組織に発展させ、ゆくゆくは学内すべての業種を生協のもとに一元的に運営していくという基本方針をたてている次第です。どうか以上の設立趣意を十分御了承の上、全教職員全学生が挙げて加入され御支援下さるようお願いします。


 1962年6月23日
 横浜国立大学消費生活協同組合
 法人化準備委員
 (原文ママ

*1:「横浜国立大(学の)ホール」ではなく、「横浜(にある、)国(が)立(てた、)大(きい)ホール」。名前に騙されて、「横国、こんなすごいホール持ってんじゃん!」と思ってはいけない。