ゴーギャン展 −ポール・ゴーギャンの精神分析

ゴーギャン展に行ってきた。


公開が9月23日までと残り少ないため、平日午前にもかかわらず人が多かった。
ホームページには「待ち時間速報」が表示されるほど。これからさらに混雑するだろう。


東京駅からシャトルバスで竹橋の近代美術館へ。幸い自分は待ち時間なしで入館できた。






目玉はゴーギャンの集大成≪我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか≫という絵画作品。1987年の回顧展では借りてこられなかった最高傑作が、念願叶ってやっと日本に来たそうだ。美術教育の教授も「これ見逃したら、もう見れないかもよ。」と急かしていた。


展示は、
・第一章 野生の解放
・第二章 タヒチ
・第三章 漂白のさだめ


という三部構成。
後半に進むにつれて、彼のマザコン度、子供でいたい度、があらわになってくる、そんな展示だったように思う。




株式仲買人として成功を収めたゴーギャンは、デンマーク人女性メット・ガットと結婚して幸せな家庭生活を送っていた。しかしカミーユピサロをはじめとする印象派の画家たちとの交友が深まるなかで、絵画への情熱が抑えがたく高まり、ついに34歳にして芸術家として生きる決意を固めるのだ。
ゴーギャン展 案内パンフレット)

34歳でついに画家になることを決意する、というところが、ある種の夢追い人的な子供っぽさを感じさせる。せっかくそれまで真面目な職業に就いて家族を養って、子供ももうけて幸せに暮らしていたんだから、そのまま続けていけばいいのに、と思うのだが。
ゴーギャンはそれをポイと捨て、「脱サラしてラーメン屋を始める」かのように画家へ転身するのである。
(これで成功したからいいものの…。)





最初はガチガチのザ・印象派っぽい描き方をしていて、「あれ、あんまり上手くないような…。」と思ってしまう。風景や静物画を見ていてもあんまりしっくり来ない。やっぱ株式仲買人やってた方が良かったんじゃ…と不安になるくらいだった(余計なお世話)。


しかし、≪洗濯する女たち、アルル≫になると、急に絵に重さが出てくる。洗濯しているオバサンたちの尻の重さが伝わってくるような、ぼったりとした色使いと塗り方が、他の人にはないオリジナリティだなぁと感じた。





≪海辺に立つブルターニュの少女たち≫≪異国のエヴァ≫なんかは特に、「スタイリッシュ」「スレンダー」「シャープ」といった言葉からは程遠い体系の女性が描かれていて、肉感的。≪異国のエヴァ≫は、ゴーギャンの母親がモチーフになって描かれていると書いてあったが、それ以外の作品に描かれる女性もすべて母親っぽいように思えてくる。



安産型で力強い、「母性の塊」みたいなパワフルさ、思わず「おかん」と呼びたくなるような(嘘)。





自然−文明、本能−理性、というような対比で、ニーチェが芸術を「アポロン的−デュオニュソス的」と分類したが、それに従うとゴーギャンはまず間違いなく「デュオニュソス的」な画家だろう。(理性的で美しくて聡明なのがアポロンで、感情的で自然で酔っ払って(酩酊して)いるのがデュオニュソス。)


そうして、フランスの絵画界の権威とか理性とか(アポロン)に嫌気が差したゴーギャンタヒチへ向かう。
南太平洋の島に着き、≪かぐわしき大地≫ほかを描いた。


ゴーギャンは、西欧文明の流入によって失われつつあるタヒチの歴史や文化に思いを馳せながら、そこに自らの「野蛮人」としての感性を重ね合わせる。そして原初の人類に備わる生命力や地上に生きるものの苦悩を、タヒチ人女性の黄金色に輝く肉体を借りて描き出したのだ。
ゴーギャン展 案内パンフレット)

しっかし、モチーフとなっているのは女性ばかり。
彼は馬もたくさん描いたそうだが、それが男性の代わりになっていたのかもしれない。
ちなみに、精神分析では馬は「父親」と相場が決まっている。
そんな目で見ていると、どんどん「マザコン」「子供でいたい症候群」「父親への恐怖」といった考えが確信めいてくる。





とすると、家族を捨てて、一人でタヒチに来たことも、
「息子や娘が大きくなり、自分が父になってしまう」のが怖かったから?
などと邪推できる。


タヒチに着いても、13歳の少女テハアマナと同棲を始めたり*1
現地の女性とやりたい放題だったという説もある。
ウソかホントか、現在のタヒチにはゴーギャンの子孫がいっぱいいるそうだ(笑)。


また、自画像にみなぎる自信も、中二病的な自意識過剰さが伺える。



(彼の自画像は)いずれも、自己の才能への強烈すぎるほどの自負と、そこから必然的に派生する苦しみの感情を伝えている。直接自身を描かない時にも彼は、時に悪霊の姿で、あるいは犬の姿を借りるなどして自分の存在を絵画のなかに忍び込ませる。
ゴーギャン展 図録 p66)


他にも、女を孕ませたままタヒチに行ったりしているし…(≪純潔の喪失≫のモチーフ)。


そういった「父になることからの逃走」が、彼の作品の要所要所に見受けられた。
村上春樹の小説の「僕」のような生き方を地で行ったのが、ゴーギャンその人かもしれない。
西欧文明に「やれやれ」とでも言っていたのだろうか。





そして、タヒチで描いたデュオニュソス的芸術をフランスに持ち帰るも、アポロンが支配的なフランス絵画界ではやはり評価されず、彼は落胆して一生をタヒチで終えることに決意する。


梅毒や足の怪我、19歳の最愛の娘の死に苦しみながら*2も、≪我々はどこから来たのか、我々は何者か、我々はどこへ行くのか≫を完成させ、これ以上のものは描けないと言い残したらしい。





絵はまさに集大成といった感じで、様々なモチーフや過去の作品のテーマ、構図が応用されていて分析は様々な形でされている。「どこから来て、何者で、どこへ行くのか」という哲学的なテーマを扱っていることもあって、批評家にはたまらない。


しかし、僕は絵が飾られている壁の向かい側に書かれていた(おそらく美術館が書いた)言葉の方が気になった。


私は、もはや言葉を絵では表現しません。
私は文学的な手段に少しもたよらず、
できるだけ単純な方法を用いて、
暗示的な構図の中に、私の夢を表現しようとしたのです。

(フォンテナス宛書簡 1899,3月 『タヒチからの手紙』)

彼は「言葉」ではなく、「絵」というメディアを選んだが、
それは「言葉では母に近接できない」という絶望があったからではないか、そう思えてくる。





人は、幼児期に母親にべったりである。母親なしでは生きていけない。

しかし母親はずっと一緒にいてくれるわけではない。父親に邪魔される場合もある。

しかし、母親がいなくても母親を獲得する方法がある。
それは、「おかあさん」と言葉に出して言うことだ。
「ママ」と言えば母親の不在は埋められる。
そうして「言語」を獲得し、母親の不在に耐えるのである。



というのがフロイトラカン派の言語に対する考え。そして、我々は言語を獲得する代わりに、その言語を与えてリアル母親の不在を認めさせる父親の圧力を「去勢」と呼んでいる。


口に出して「悲しい」と言うと、だんだん心が沈んで悲しくなってくることがあるように、我々は感情を言葉によって演出されてしまうことがある。それは、そこにはないものを言葉によって管理することで擬似的に埋める訓練を幼いころからしてきたからだ。




そこっ、マユツバだな、とか言わない!




しかし、ゴーギャンは「言葉」では結局のところ、母親に近づけない、と絶望したのではないかと思う。「文学的な手段に頼らず」、それは「言葉」すなわち「理性」を突き詰めて母親の不在を埋めるという方法に対しての抵抗だ。そしてそれは「言語をつかさどり、子に与える父」になることへの抵抗でもある。


そうして、言葉ではなく絵で、それも宗教画や伝記画といった文学に根ざすものとは距離をとり、まったく違う方法で、「母」の不在を埋めようとしたのが、ゴーギャンの芸術なんだと思う。より母親に近づきたーい、という。
そしてそれが彼の作品の一番の魅力だ。




以上が、「ゴーギャン、マザッコンやなぁー」と思ったプロセス。





なんでも二項対立で見るのは良くないと思うが、前述の自然−文明、本能−理性、という対立を推し進めると、女−男、母−父、といった西欧文明特有のキリスト教主義と男性優位主義が伺える。ゴーギャンはそういう対立を意識せざるを得ない時代に生まれ、それを打破しようと囚われていたんだろうなと思う。



もし、精神分析的に彼の問いに答えるとしたら、
≪我々は母から生まれ、母の子であり、そして母の元へと帰る≫
それが彼の目指した「夢」なのだろう。





■■追記

ゴーギャンの人生の書き方が、図録とWikiで全然違って笑った。
Wikiの方があんなに悪意に満ちているのはなぜだ。


■■
展示内容が分かりやすく解説されています。
なかでも面白いところがあったので抜粋。

何でも鈴木氏がおっしゃるにはこの作品(≪我々…≫)は「危機の時代」になると鈍く輝き出す奇妙な作品であるそうです。


例えば最初にパリに貸し出された1949年の翌年には朝鮮戦争が勃発。冷戦のグローバル化が始まった年でもあります。核兵器の恐怖にさらされた時代にパリでこの作品を観たアンドレ・ブルトンは「文明社会批判」を強く感じ取ったそうです。


弐代目・青い日記帳 「ゴーギャン展」記者発表会
http://bluediary2.jugem.jp/trackback/1683


そういえば2009年は「資本主義の限界」みたいな言説が増えてますね。

*1:別にうらやましくなんかないぞ

*2:人はしばしば「自らの根源的な欲望に気づいてしまったとき」にひどく落胆する、といったようなことをフロイトは書いている。
もしこれを応用するなら、「ゴーギャンは娘の死によって、父になりたくない、という自分の欲望に気づいてしまった」とできる。
自分が父になりたくないと願ったばっかりに、娘はそれを察知して死んでしまったんじゃないか、といったことを彼(の無意識)は考えたのではないだろうか。