26時間テレビのメッセージを読み解く

島田紳助が26時間かけて伝えてくれたのは、「誰でもそれなりの努力をすれば、感動を与えられるし、自分自身も感動するよ。」というメッセージだった。
これはまさに「テレビ、マスコミ」的な発想で、きっとPTAや株主からの評価も高くなったことだろうと思う。努力すれば報われる、頑張った人が褒められる、そんな普遍的な真理を今回の26時間テレビは伝えてくれた。



そういう意味では、日本テレビ24時間テレビ「愛は地球を救う」とほとんど変わらなかった。終盤に24時間マラソンのパロディをする「フジお笑い魂」みたいなものも見せてくれたけれど、結果的に「頑張れニッポン!凄いぞニッポン!」に集約されるような、スポ根アニメ的番組で終わってしまっている。漫才まで構造分析してのし上がった努力の人、島田紳助が作った番組らしいといえばらしい、構成だったと思う。




こうなると2chの実況スレッドはどうなるかと言うと、「宗教っぽい」「感動の押し売りはやめてくれ」「紳助が感動感動言ってて感動できない」と、批判が相次ぐ。どの番組でも一定数つくようなレスが、お祭りなのでさらに上乗せされる。「努力は報われるなんてウソだ」、そんなとても真っ当な意見が書き込まれていくわけである。



しかし、そうした意見はあまり重要ではない。「努力は報われないんだよ」と声高に叫ぶ人は、きちんと番組と向き合った結果、そうした意見を持ったわけであり、立派な受容者である。「ベタ」に番組を見た人たちだ。
問題は、そうしたベタなレスに負けず多かった、「もっとテレビじゃなきゃできないことやってくれよ」といった「メタ」レベルの意見だ。番組と向き合うのではなく、番組×視聴者という構造を一歩引いたところから見て言う意見がこれである。


自分もこのメタレベルから番組を眺めながら、今回の26時間テレビの構成に少し不安を持った。「誰でもそれなりの努力をすれば、感動を与えられるし、自分自身も感動するよ。」ということを、そこまで露骨に伝えていいのだろうか。







映画監督デヴィッド・リンチの作品に『ストレイト・ストーリー』というものがある。73歳のおじいちゃんが、350マイルも離れたところに住む兄に、車も列車も飛行機も使わず、壊れかけのトラクターで一人旅。旅路で様々な人に助けられつつ、人の温かさや生きることの意味を考えさせられ、最後はハッピーエンド、というまさにストレートなストーリーだ。しかし、この映画が持つ意味はそのストーリーとは別にあると考える。




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リンチの他の映画は、3回見てもよく分からないくらい、支離滅裂でカルト的だ。映画批評家からも評価が高く、複雑な読み込みを必要とする難解な作品が多い。(というか読み込むな、というのが彼のメッセージである。)


そんな彼が、ストレートなストーリーを撮ったのはなぜか?その理由があるとすれば、それは、「どんなに普通な話でも、2時間くらい映画として見れば、感動できる」というメタメッセージの発信のため、なのではないだろうか。「いい話を、2時間かけて見れば、人は感動できる。」という皮肉を、映画界に送ったのではないかと邪推する。







として、今回の26時間テレビである。
「誰でもそれなりの努力をすれば、感動を与えられるし、自分自身も感動するよ。」
それは、分かった。でも、視聴者は、心の中で「努力すれば感動するんだろうな」ということを分かりつつも、「でもやっぱり、感動するのはテレビであれだけカメラに映ってるからでしょ」だとか、「芸能人と共演できるからでしょ」などとシニカルに笑って、溜飲を下げたいのである。「これだからテレビは」と言って、すっきりしたいのだ。


しかし今回の26時間はそうしたテレビ的欺瞞を感じさせないままに、露骨に「お前らいいから12時間三輪車乗ってこいって」と勧めているように感じられた。いや、そりゃ、本当にやったら感動するかもしれないけどさ。「テレビだから、感動するんだよ!」ということを、もっと言わせてほしい、それが「ベタ」な実況板の住人の心の叫びだったと思う。そんなスキがないくらい、今回の紳助及びヘキサゴンファミリーは熱かったし、説得力があった。





また、メタ的に見ても今回の手法はまずいように思える。「誰でもそれなりの努力をすれば、感動を与えられるし、自分自身も感動するよ。」というのは、つまり「テレビじゃなくてもいいよ」ということである。テレビが、テレビじゃなくても感動する(かもしれない)よ?ということを言ってしまっていいのか?




テレビの権力は早く失墜して欲しいし放送事故とかバンバン起こって欲しいでも…テレビの権力が失墜しちゃったら楽しめない。そんな実況板住民のアンビバレントな感情をよくよく自覚させてくれる番組だったと思う。いやよいやよも好きのうち、なのだ。






もうしばらくは、「誰でもそれなりの努力をすれば、感動を与えられるし、自分自身も感動するよ。(ただしテレビに限る)」であって欲しい。